天正15年(1587)、四国を制圧した羽柴秀吉は、生駒親正に讃岐17万6千石を授けた。
讃岐に入国した親正は、丸亀・引田といった讃岐旧来の城に飽き足らず、
高松の地に新城を築くことにした。
しかし、高松での築城に決定的な自信の持てなかった親正は、
黒田官兵衛に縄張りについて相談した。
「官兵衛殿、どうでしょうか?」
「・・・問題なし。むしろ、一段と良き城地にござる。」
「そうですか!いや良かった。
それ、その地図にもある高松より半里ばかり西南の石清尾山、
なかなか大きい山で高松に近過ぎるので、
要害のため如何かと思ったのですが・・・」
「何を言われる。石清尾山あってこそ高松は良き城地なのです。
この山、高松のためには味方千騎に値しますぞ。
もし阿波・伊予等から敵が寄せて来れば、海に面した高松は、
ひとたまりもありますまい。
しかし、石清尾山で敵の進軍を妨げる事によって、
京・大坂から援軍が来るまで、持ちこたえる事が出来ましょう。
軍略上で大事な土地を『要害』というのは、
味方には『要(かなめ)』、敵には『害』となるからなのです。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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