鰐淵寺住職である鰐淵寺栄芸は、
永禄四年(1561)、毛利元就から尼子氏調伏の祈祷を依頼された。
芸栄は三日三晩の五大尊の法、さらに三日三晩の六観音の法、
最後に三日三晩の七仏薬師の法を行った。
流石の元就も恐ろしくなるほどの呪法だったと云う。
さて、この呪法の翌年から、尼子から毛利に寝返る者が続出し、
永禄八年(1565)、見事尼子は滅亡するのである。
天下に、鰐淵寺栄芸は恐ろしい。
そう喧伝された。
が、
これにも別の説がある。
元就が、わざと鰐淵寺栄芸の評判を立てさせ、敵味方に、
「元就殿に逆らうと、鰐淵寺栄芸によって呪い滅ぼされるぞ。」
との、恐怖を植えつけたのだと。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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