永禄三年(1560)十二月、
毛利家に、尼子晴久が重病であり、
もはや十死一生の様態であるとの情報が入った。
既に死去したとの噂もあり、長年晴久に苦しめられた毛利家中では、
この事を元就に話せば、さぞ上機嫌になるだろうと考え、
ある時、元就のもとに皆が参集した折、その話を申し上げた所、
案に相違し、元就は突然気色を変え怒鳴った。
「晴久が既に死んだというのなら、もう是非に及ばぬことであるが、
晴久も自身が存命のうちに、
我々と一戦を遂げ勝負を決しようと考えていたことだろう。
私も天文九年以来、晴久と数度の戦いをしたと雖も、
遂に旗本での決戦とまでは行かなかった。
私はこれを、出雲へ討ち入った時に果たすべき念願としていたのに、
残念の至である。
総じて敵方の弱みを喜ぶのは、弱将とその下の部将たちの風俗である。
おのおのは晴久の重病を、我々の吉事のように申される。
これは誠に、是非無き心である!」
この言葉に皆は戸惑い、その場は静まり返ったという。(一円物音も之なき事)
尼子晴久重病の報に対しての、毛利元就の反応である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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