石見銀山の支配権を巡り、
毛利氏と尼子氏が激しく争っていた永禄2年(1559)2月、
毛利元就は次男・吉川元春に、
尼子に味方する小笠原長雄の居城・温湯城の攻略を命じた。
しかし、信濃守護家の流れを汲むという長雄の篭る要害は、
元春の猛攻をも弾き返し、長男隆元・三男隆景そして、
元就自身までもが温湯に出陣、
毛利家総出で攻城に当たる事態に陥った。
「父上、申し訳ございませぬ・・・!」
「よい、元春。このまま、お前も攻め手に加われ。
かくなる上は土竜攻めじゃ。金掘り衆をもって山腹を掘り進め、
城の本丸まで抜け穴を作り、一気に内側より奇襲をかけよ!」
元就号令のもと、石見銀山の鉱夫が集められ、
連日に渡り坑道が掘り進められた、ある日のこと。
「おい、こっちに空洞があるぞ!」
「本当か!?よし、好都合じゃ。そっちを掘れ、掘れ!!」
工事がはかどる、
とばかりに喜んだ鉱夫たちが空洞を掘り広げたその先には、
人がいた。
なんと城方でも同じ事を企て、坑道を掘っていたのだ。
「や、やぁ」「お、おぅ」予期せぬトンネル開通を祝い、
感動のうちに両者は固い握手を交わし、
・・・となるハズもなく、文字通り日の当たらぬ場所で泥仕合が始まった。
結局毛利軍は城方に撃退され、土竜攻めに失敗。
あきらめた元就は普通に兵糧攻めを行うことを決意、
半年近く経った7月下旬、城主・長雄の降伏により、
毛利氏が1万2千余の軍勢を動員した城攻めは、
ごく平凡な結末を見たという、
珍しく元就の策が見事な空振りに終わった話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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