これは毛利元就が毛利家の当主になる前の話。
この頃の毛利家は元就の兄、興元が急死し、
家督は興元の嫡男・幸松丸が継いでいたが、
幸松丸が幼少のため、元就は叔父として幸松丸を後見していた。
1523年、元就は安芸国鏡山城の攻略戦に勝利し、
敵将の首級をもって帰還した。
「幸松丸様、これが此度の戦の総大将の首でござる!」
と幸松丸にその首を見せた。
しかし当時9歳の子供に人の生首は流石に刺激が強すぎたのか、
その後病にかかり、そのまま病死した。
その後元就は異母弟、元綱との戦に勝利し毛利家を継ぐ訳だが、
もしかしたら元就はこれを狙っていたのかも?
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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