大友義鎮(宗麟)は諸芸に通じ、歌道にも達していた。
あるとき戯れに、オウムの歌を詠んだ。
「なびくなよ、しめておく野の女郎花 思ふかたより風はふくとも」
「なびくまじ、しめて置のの女郎花 思ふかたより風はふくとも」
この両首をどうしたわけか天子が聞こしめし、
「雪の中の早苗」「蛍火の灰」
という難題を豊後国に下されたため、この禁題にて義鎮が詠んだ。
雪中早苗
富士うつる田子の浦わの里人は 雪の中にもさなへとるなり
蛍火灰
夜もすがらともす蛍の火も消て いけの真こもに、はひかかりけり
天子より題を下されたるこころを
思ひきや筑紫の海の果までも 和歌の浦波かかるべしとは
この三首を奏聞したため、叡感があったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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