尾州・織田信長は、日本において、上杉管領入道輝虎(謙信)に次ぐのは、
織田右大臣信長であると言われ、
武田信玄公が他界ましまして後は、この両大将を弓矢の花の本のように申した。
中でも信長は、六年以来都の異見であるので、
武辺の強みである場数は、輝虎と言えども結局は信長に先を譲る、
と評価する者が多い。
しかしそんな信長に対しても、下郎たちはこのような歌を作り歌い申した。
『一に憂き事金ケ崎、二には憂き事志賀の陣、三に野田福島の退き口』
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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