要らざる嘘☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

織田信長は、長篠合戦のことを、勝頼ではなく『武田信玄に勝った。』と言い、

塚を作って「信玄の墓」と名付けた。
これは西国に対する宣伝のためである。
 

一方小身であっても、

徳川家康は誠が多い事の強みを心懸ける弓取りであったので、

三河において信玄に勝ったなどとは言わなかった。

そもそも織田信長は、このような空言を多く用いる武将なのである。
例えば彼が今川義元に勝利した時も、『今川軍6万を打ち破った。』と喧伝した。
よく考えてほしい。

三河・遠江・駿河三ヶ国から、どうやって6万もの軍勢を動員出来るというのか?
そもそもそれらの国は人口も少なく、大積りに積もって、2万4千が精一杯である。

有り体に言えば、その2万4千ですら多すぎるが、

信長は要らざる嘘を付くことで、義元との合戦などにおける、
類まれな、彼の本当の手柄まで、浅く見えてしまうのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 第六天魔王・織田信長、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!