時は天文年間、まだ信長が弾正忠家さえまとめられない小勢力だった頃。
当時の尾張第一の商業都市・津島で盆踊り大会を主催した。
人気取りの意味合いが大きかったのだろうが、
そこは若い頃から派手好きの信長、ただ盆踊りをやらせただけではない。
庶兄や実弟とも争っているのに時間を作り、家臣はもちろん自分自身も扮装し、
津島へ繰り出して踊りを町衆に見せにいった。
滝川左近(一益)らは餓鬼を演じ、
平手内膳(馬の事で信長と喧嘩した、政秀の息子)らは鬼に。
前野但馬(長康)・飯尾近江守(後、桶狭間合戦で討死)は弁慶となる。
祝弥三郎(豊臣政権時代でも大名らの前で狂言を披露した)は鷺に、
といった按配。
そして信長自身は……。
天女の格好になり、小鼓を打って女人踊りを踊った。
津島の人達もノリノリだったらしく後日、
清須に来て信長らにお礼の踊りを見せた。
これに喜んだ信長、やってきた者達一人一人に親しく声をかけ、
直々に扇子で扇いだりお茶を振舞ったりと応対。
町衆は感涙して帰っていった。
この後、津島ではしばらく踊りが流行になったとか。
殺伐には事欠かない信長の人生にも、こんな一コマがあったというお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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