慶長二年(1597)、伏見城の普請について。
「ここのところの普請人夫の、労働環境の劣悪さは目に余るものがある。
あまりに激しく働かせるので、栄養失調で、夜になると目の見えなくなるもの、
工事中の事故で負傷する者、病気になるものが続出しているのに、
そう言う者には工事に出てこないからと飯米を与えないから、
食えない人夫たちは乞食になって、京の町にあふれている。
太閤秀吉公は日本の大きさには不似合いなほどの大人物であるのに、
どうしてこの、人々の苦しみをわからないのか。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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