肥後国人一揆始末☆ | げむおた街道をゆく

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天正15年(1587)、肥後国人一揆が勃発する。

肥後の国主であった佐々成政は、元来勇将なのだが、

国中で蜂起した敵があまりに大勢であるので防ぎかね、
隣国の加勢を受けてようやく、敵を鎮めることが出来た。

小早川隆景、黒田官兵衛などは、

豊臣秀吉の命を受け、肥後で反逆した国人たちを、
柳川・小倉の両所に預け置いて、

『反逆した理由はなにか?』

と糾明させた。

国人たちは皆、このように答えた。
「我々は、天下に対して叛こうなど考えもしていません。

ただ、国主である佐々成政の仕置が、
あまりに非道なものであったため、それに対して叛逆をしたのです。」

この内容を隆景・官兵衛は、秀吉に報告した。
秀吉はこれを聞いて、どう考えたのであろうか、

肥後の乱を起こした国人たちを尽く殺させた。

肥後国はこれ以降、平穏となったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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