秀吉が、明智光秀や柴田勝家を討ち、
天下統一へと突き進んでいたころのこと。
1585年、中部地方で大地震が起きた。
その時、秀吉は坂本城にいたのだが、
地震に驚いて脇目も振らず、一目散に大坂に向かった。
大坂では大坂城も被害を受けており、幾度も余震が起きていたという。
余震に怯えた秀吉は、ねねや側室とともに御殿に籠ったのだった。
秀吉は、恐怖が収まるまでそこに留まったという。
この体験が余程怖かったのだろうか、
秀吉は天下を統一し、伏見城を築城することになったのだが、
当時、京都奉行だった前田玄以に、
「伏見城の普請のことだがな、ナマズが肝心だぞ。」
と名古屋城から手紙を送り、地震に耐えられる城にせよ、と注意した。
「わしに考えがある。至急、大工を一人こちらに遣すように。」
とかなり気合が入っている。
もうあんな思いはしたくない、というところか。
こうして待望の伏見城が完成したのだが…1596年、再び地震が発生した。
数万人が死んだと伝わる大地震で、地震に備えていたにも関わらず、
伏見城の天守閣はあっけなく崩壊した。
御殿も倒壊したものの、
秀吉は命からがら逃げ出し、北政所たちとともに余震に耐えたという。
二度も地震に脅かされる、不運な秀吉であった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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