本能寺後、天下の主導権を握った秀吉が、信長の葬儀を主催し、
その菩提寺として、紫野大徳寺塔頭、総見院を建立した。
が、それだけではない。
秀吉は、紫野大徳寺を上回る規模の、壮大かつ壮麗な信長のための寺院、
「新紫野・天正寺」の建設を進めていたのだ!
この建設は、織田信雄と対立していたころより始められ、
小牧長久手で敗戦をこうむった後、さらに加速された!
「我こそは信長公、そして織田家の恩を最も受けた者。
その真心は今建設中のあの寺院を見よ!」
そう、世間に訴えているようであった。
そしてその真心が通じたか、ついに信雄との和解がなった!すると…!
新紫野・天正寺の建設工事中断。
そのまま、放置。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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