天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦い。
4月19日、柴田勝家方の佐久間玄蕃(盛政)は、
羽柴秀吉方の大岩山砦を攻め落とし、
守将であった中川瀬兵衛(清秀)を討ち取った。
この注進は、岐阜にあった秀吉のもとに、
その日の七つ時分(午後4時頃)には伝えられた。
これを聞くや秀吉は、岐阜城を織田信雄に任せ、
まだ日の入らぬ内に、十三里の道を駆けつけた。
日暮れに地蔵山の走り矢倉へと上がり、
「敵はどのように陣取っているか?」
と尋ねると、
「向かいに見える火の明かりも敵です。
柴田殿の本陣はここからは見えません。
海端に火が多く見えるのは、
中川瀬兵衛が陣取っていた場所だったのが攻め落とされ、
今は佐久間玄蕃が陣取っています。」
と説明を受けた。
すると秀吉は、皆にこう語りかけた。
「ざっと済んだ!明日は皆々拾い首を取るように!
どういう意味かといえば、
我々は今、大番袋(雑物を入れる大きな袋)に物を入れ、
その口を閉めた状況にあるのだ!
柴田もあれほどの軍勢を率いる人間であるから、
今夜にはここに私が駆けつけたことを聞きつけるだろう。
そうなれば必ず、夜の内に引き上げようとする。
そこに付け込めば敵は必ず敗北する。
鳥が歌う時分に、皆々、出撃の準備をせよ!」
案の定、鳥が歌い出す時分に、
佐久間玄蕃の陣は撤退のため取り騒いだため、
秀吉方は競ってこれに取り付き、
まだ夜も明けぬ内に首を取り、
夜が明けてから度々競り合いがあって、ついに敵を破った。
これは伊藤金左衛門の語った話である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!