豊臣秀吉は、天運に乗った人であった。
賤ヶ岳の戦いの折、織田信孝は岐阜の城に拠って秀吉と対したが、
柴田勝家は信孝と通謀して、
「堅く岐阜を守れ、秀吉必ず来たり攻めん。
我、柳ヶ瀬の麓を回って前後より挟み撃てば、
一戦にしてその頸を見ん。」
との約を定めた。
秀吉は勿論これを知らず、岐阜城を攻め囲もうとした。
ところがここで、その夜より水瓶を返したような大雨となり、
呂久、郷戸のニ川、俄に激浪滔々たれば、
渡ること能わず、川の此方に陣した。
そこで勝家が、柳ヶ瀬を出発したとの情報を得、
秀吉は川を渡らず、岐阜を捨てて、柳ケ瀬へと軍を進めた。
しかし洪水の故に、信孝も、この秀吉の軍を追撃することができなかった。
勝家の謀は、却って自ら不意に遭う端緒となってしまったのである。
これ天が甚雨、洪水を以て秀吉を祐けたのだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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