前田利家が、伏見城の太閤秀吉のもとに出仕しようと礼装を用意させたところ、
道具奉行が持って来た新しい袴は、
袴腰(袴の背後部の、腰帯から出る部分)の小さいものだった。
「なんじゃあ?そのパッとしない袴は…前のもので良い、早く持って参れ。」
「し、しかし徳川内府(家康)がこのような袴をお好みになり、
諸大名もそれにならっているそうですが…。」
「ない…ふ……?」
解説しよう!機嫌の悪い利家の前で、官位や所領で常に一歩先行く家康の話は禁句だ!
利家、
「内府の袴に合わせて仕立てただと?
オレに!前田利家に!家康のマネをしろと言うんかい!!」
利家は道具奉行に新しい袴を投げつけ、
ことさらに袴腰の大きい以前の袴を着けて出仕した。
それからというもの、利家は若手家臣でも、
かぶいた姿をした者を「根性があるわい。」として取り立てるようになり、
その前田家の気風は絢爛豪華な金沢文化を生み、
加賀藩の財政を苦しめることになる。
利家の、この振る舞いを見た家中の穏健派は、
奥村助右衛門と村井長頼、最古参の両家老に取り成しを頼んだが、
「あの人の若い頃はねー。かぶき者でケンカ好きで、
いつも三間半柄(6mちょい)の槍持って歩いたもんで、
遠くからでも『又左が来る!』って分かって、街から人が消えたモンですよ。」
「まぁ、あの人も年食って少しは丸くなったんじゃね?」
と言って遠い目をしたままになり、取りつく島もなかったそうな。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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