前田利家夫人と奥村永福夫人☆ | げむおた街道をゆく

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天正12年(1584)、

佐々成政は、前田利家の重臣・奥村助右衛門永福の守る、能登末森城を囲んだ。
世に言う末森城の戦いである。

成政は、旗本を以って前田利家の後巻(救援)を抑え厳しく攻め立て、

「この城を打ち破れば、能登一国は即座に我々に従う。後巻が来ない内に乗っ取れ!」

と下知した。

奥村はわずかに300ばかりの兵でここを守っていたが、

あまりに激しく責め立てられたため、
「もはやこれまでである。自害しよう。」

と言い出した。

ところが、この奥村の妻は、小袖をたすき掛けにし鉢巻をして、

刀を横たえ粥を煮て、
手桶に入れて下女に持たせ、城内の人々に手ずから汲んで食させながら、

こう言って回った。

「昔、楠木という大将は日本国を敵に受けて籠城したと聞き伝えられています。
明日には金沢より後詰めの軍が到着するでしょうから、

今宵、ただ一夜だけ防いで下さい!」

奥村はこれを見て、

「今日の振る舞い男子にも優っている。さりながら女の力によって、

この城を持ちこたえるというのは口惜しいことだ。」

とつぶやいた。

一方、佐々成政方は負傷者も増え、敵も容易くは落城しそうもないのを見て、

これは火攻めにすべきだと進言するものもあった。

しかし成政は、
「この城の大手の門を取って富山の城門とするのだ。

また石動山の衆徒も私に心を合わせた。
慌てて火攻めを行う必要はない。」

と下知し、既に二、三の丸を攻め取って夜が明けるのを待っていた。

この末森城から前田利家のいる金沢まで九里ばかり。

 

その日の酉の刻(午後6時頃)、末森城より、
夜が明けるまではなんとしても城を守るという注進が入った。

前田利家はこの報告を聞くや金沢城の広間に出て、

嫡子利長を呼んで、
「汝はこの城の留守をせよ!」

と命じた。

 

しかし利長は、
「いいえ、私が真っ先に出て佐々を打ち破ります!

ここに残り留まるなど思いもよりません!」

これを聞くと利家、
「ならば父子で打ち向かおう。敵の不意を打ってこそ利もあるだろう。

兵を整える必要はない、
馬に鞍を置き次第一騎がけに打ち出よ!

一足でも早く出る事こそ今夜の功だと思え!」
 

そして富田与五郎に、
「おまえは津幡に行って不破彦三に、末森の後巻きの先手をするように申せ。」

と下知した。
 

富田は直ぐに自宅に戻って馬を引き出し、不破彦三の元へと駆けた。

利家は士卒に、

「皆汁をかけて飯を食え!」

と言いつつ具足を着て、庭に自身の黒毛の馬を用意させていた。
 

この時、前田利家の婦人(芳春院)が三方にのし鮑を入れて入ってくると、

利家・利長父子に従う者達に向かって語りかけた。

「おのおの、よく聞いて下さい。私は利長の母です。

今日の後巻きは誠に大事の軍です。
それぞれ心を合わせて功名して下さい。
もし、末森城を敵に取られたなら、皆々、討ち死にしなさい。
私も人手にはかかりません!」

そして利長の側近くに進んで我が子に対し、

「末森が落城したなら、あなたも討ち死にしなさい。」

と言った。
 

利長これに、

「生死の別れですね。」

と答えた。

利家はこれを見て、

「荒心であることよ。成政を打ち破ること必定である!」

と言い放つやいなや、
具足の上帯を締めて、結ぶ端を切り捨てて馬に打ち乗り出撃した。
 

この時、前田父子の兵はわずかに100人余であった。

利家は馬上で、
「味方が少数である事こそ吉事である!

佐々が思いもよらない所に斬りかかって打ち勝つであろう!
奥村を死なせては生きる意味もない!」

と叫んだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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