不仁の業☆ | げむおた街道をゆく

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同じ頃(甲斐領地直後)、

東照宮(徳川家康)が、武田家の士・横田甚右衛門(尹松)らを召して、

信玄の事を物語りさせて聞きなさった時、

「御坊の時は、火縄はどのようにしたのか。」

と、御尋ねになった。

すると、

「柿の渋に石灰を入れて火縄を染めますと、年を経ても使えます。」

と答え申した。
 

東照宮は、横田、または城意庵などに、

信玄のことを“御坊”と仰せになったという。

また、武田家において、鏃をゆるく詰めたのは、

敵の肉の中に鏃を残すためであると申すのを聞きなさり、

東照宮は、

「士がいくさに臨むのは、皆、その主君のためであるのだよ。

敵を射伏せば、自軍の利となるであろう。

けれども、後まで人を苦しめるのは、不仁の業である。

今日から我が家の士は、鏃を堅く詰めよ。」

と、仰せ出したのであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ どうする家康・異聞、目次

 

 

 

 

 

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