同じ頃(甲斐領地直後)、
東照宮(徳川家康)が、武田家の士・横田甚右衛門(尹松)らを召して、
信玄の事を物語りさせて聞きなさった時、
「御坊の時は、火縄はどのようにしたのか。」
と、御尋ねになった。
すると、
「柿の渋に石灰を入れて火縄を染めますと、年を経ても使えます。」
と答え申した。
東照宮は、横田、または城意庵などに、
信玄のことを“御坊”と仰せになったという。
また、武田家において、鏃をゆるく詰めたのは、
敵の肉の中に鏃を残すためであると申すのを聞きなさり、
東照宮は、
「士がいくさに臨むのは、皆、その主君のためであるのだよ。
敵を射伏せば、自軍の利となるであろう。
けれども、後まで人を苦しめるのは、不仁の業である。
今日から我が家の士は、鏃を堅く詰めよ。」
と、仰せ出したのであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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