清康の孫☆ | げむおた街道をゆく

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竹千代と名乗っていた駿府での人質時代のある正月の事、

今川義元の屋敷に恒例の新年の挨拶に出かけた。

今川氏は当時、有力の大大名であったので、

新年の挨拶に家臣や豪族たちが大勢集まっていた。

 

正月の寒い日のことで、
しかも座敷には火の気すらなかったので、誰もが寒さのために尿意をもよおしたが、
いつ自分の順番になるかも知れなかったので座を立つわけにもいかず、
じっと我慢していた。もちろん家康公も同じである。

そのうちに、あまり見かけた事のない少年が控えているのを見た家臣たちの中から、
「あの子倅は誰だろう?」という声が聞えてきた。

「あれは三河の松平清康の孫だということだ。」と答えた者もいた。
 

だが中には、

「剛勇で鳴らした人物の孫とはいっても、父が意気地がないので人質に出され、

今はあのようにして畏まっているただの子倅よ。」
と没落した松平家を嘲笑う者もいた。

このやりとりを耳にした家康公はふっと座を立ち上がり、腹が立ったのか、

単に目立ちたかったのか、
縁側まで行き、前をまくって何とジャージャーと立ち小便を放ったのである。
 

用を足し、また元の座に戻り、平然としている。
この家康公の大胆な行動に、義元や家臣一同はただあっけにとられ、

その成り行きを見守るしかなかった。
「やはり清康の孫だ・・・。」と、家臣たちはヒソヒソと話し合ったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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ごきげんよう!