己の「武」の「分」をわきまえる☆ | げむおた街道をゆく

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立花宗茂が老境の際、

養子・忠茂から戦における兵の運用に関して問われ、こう語ったらしい。

「例えば、かの上杉謙信公は8千程度の兵を用いて戦をするのが、

己に適していると言われたそうだ。
かく言う自分は経験上2千程度の兵数が手足の如く操れると感じたものだ。
 

つまり大将の才、能力に適した兵力は、大将の数だけあるという事。
兵力の大小に固執するより己の武の型を見極め、

それに見合った兵を揃えたほうが良い結果が得られるだろう。」

過去に遡ると、宗茂が肥後一揆の鎮圧に功を上げ、秀吉から加増しようと言われた際、
「もう自分が戦うに充分な兵力を養える領土は頂いてますので結構です。
それより戦の際に、先鋒に使って頂ければ相応の働きをもって答えたいと思います。」

と断った。


そして後の朝鮮役の大一番、碧蹄館にて先陣を任された宗茂の武は、

日ノ本随一と称えられることになる。

さらに遡ると、宗茂が父・紹運から初陣の話をうけた時に、
「今の自分の実力では、あえなく討ち死にしてしまうと思います。
故にあと1年鍛えた後、改めて一方の大将として出陣したく存じます。」

と断りを入れた。
 

それを聞いた周りの家来は、「若殿は臆病なのか。」

と困惑したが、
後の初陣で立花道雪が見惚れる働きを見せる事になる。

一説で戦国一の武人と謳われた男は、
戦国一、己の「武」の「分」をわきまえていた男だったかもしれないという話。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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