島原の乱の後の事だが、柳河藩に宗茂が目をかけていた安東助四郎という若者がいた。
助四郎は病弱だったが、聡明で好学心が高かったため、
宗茂は江戸に呼んで、勉学に励ませていた。
しかし、それを心好く思わない者達がいて、助四郎に色々と言って来ることがあり、
それを苦にした助四郎は、病気と称して柳河に帰ってしまった。
そのことを知った宗茂は、実情を調べた上で助四郎に手紙を送った。
「病はいかがか。容態はどうかと心配している。
だがこちらで聞いたところ、帰国した理由はそればかりではあるまい。
お前の勉学は私と忠茂が認めたもので、我らはお前のことを少しも疑ってはいない。
お前に何かと申した者達はこちらで吟味する。
どうか、やる気を取り戻してほしい。
お前が確かな人物であることは見届けている。」
これを受けた助四郎は発奮し、以前以上に勉学に励んだという。
後に、助四郎は省庵と名乗り、
関西の巨儒と謳われる大儒学者となったそうな。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!