大阪冬の陣の頃。
世間では、いわゆる豊臣恩顧大名が大阪方に内応する、との風聞激しく、
将軍である徳川秀忠もこれを心配し、立花宗茂に相談した。
「世間では豊臣恩顧の大名が大阪方に寝返ると言っている。そのような者がいるのだろうか?」
「おりません!」
宗茂は断言した。あまりにはっきりと言う宗茂に逆に疑問を感じた秀忠。
「どうしてそのように言い切れるのか?」
宗茂、答える。
「それはこう言うことです。豊臣恩顧というなら、
私ほど豊臣家の恩顧を受けたと考えられている者はおりません。
仮に大阪方に内応しようとする大名がいれば、必ず私にも声をかけてくるでしょう。
そのような事があれば私は、御所様(秀忠)の恩に報いるためにも、
その者と刺し違える覚悟でおりました。
…ですが、今までそのような者は私のところに来ず、幸いにも命を永らえております。
今にいたってそうなのですから、内応者はいない、と考えてしかるべきでしょう。
もし私が何者かと刺し違えて死んだ、ということを聞かれたら、
その時は内応者が出たのだとお考えください。」
この宗茂の言葉に秀忠、大いに安堵したとのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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