水田長光☆ | げむおた街道をゆく

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立花宗茂は、長光の名刀を二振所持していた。

 

一つは父である高橋紹運より贈られたもので、
これは宗茂が死去するまで身に帯びていた。
 

もう一刀は水田長光といった。

文禄年間の朝鮮の役の折の事、宗茂の家臣に風斗就澄と言う者があったが、

彼が敵十余人に囲まれ、
五人を斬り斃したがそこで刀が折れ、脇差でまた一人を斬りその場を切り抜けた。
 

宗茂はこの奮戦を見て感服し、風斗にこの、水田長光を与えた。

その後、船軍があった時、一人の敵が船から海へ飛び込み逃げようとしたのを、

風斗は船中からその腰を斬った。敵は海に入り少し泳いでいたが、そ

のうちに二つになって死んだ。
 

また、死骸を二つ重ねて斬った所、一撃で四つになった。
それほど鋭利な刀であって、風斗も秘蔵していた。

ところが慶長五年の関ヶ原の戦いによって、

宗茂は西軍に与していたため柳川の領地を召され牢人と成った。

為に風斗就澄も、摂津の片田舎に隠遁した。

そこに、藤堂高虎が使いを寄越した。

『長光の刀を私に贈れば、千石を与えよう。』

との申し入れであった。
 

しかし風斗は、
「この刀は、主君手ずから賜った物です。たとえ一万石下さるとも、お断りいたします。」
と、これを辞した。

その後、宗茂は棚倉一万石で大名に復帰し、続いて柳川の旧領十万石を賜った。
 

そのため風斗も直ぐに江戸に赴き、宗茂に面会した。
 

この時、宗茂は風斗に、

「水田の刀は今も所持しているか?」

と聞いた。
 

風斗は水田長光を取り出して見せ、
「私がもし利欲のためにこの刀を失えば、再び今日の拝顔も無かったでしょう。」
そう、涙ながらに申し上げたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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