雨の日に☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の合戦後、立花宗茂は大名から浪人に転落した。


かねてより宗茂と親交があった東軍の大名のなかには彼の武名を惜しんで、
召し抱えたいというものも多かったが、宗茂はそのいずれも丁重に断った。
 

彼は、
「我が身惜しさに、太閤との誓いを裏切り、

親しき友を討つようなものたちの仲間入りはできない。」
といった。
 

そして、
「わしは天に誓って、わが生き方を恥じておらぬ。

天運あれば、きっとふたたび立花の名を興す時がこよう。」
と家来たちには言った。
 

しかし、その機会はなかなか訪れなかった。
宗茂は肥後を追われ、京都、江戸と転々と住まいをかえて、流浪した。

江戸の高田、宝祥寺の一隅を借り住まいとしていたころのことである。
宗茂が国もとを出たときの路銀はとうに消え失せ、主従は日々の米にこと欠いていた。


由布雪下、十時摂津ら、宗茂の家来たちは槍、甲冑も売り払って金銀を得たが、

それでもなお食えない。
彼等は、宗茂に隠れ、傭われ人足や托鉢僧、ひどいものは乞食に身をやつして銭をかせぎ、

なんとか日々を暮らしていた。

ある時、寺の檀家が、宗茂らの困窮を知って、炊いた飯をわけてくれた。
由布雪下らはありがたくそれを頂き、その飯で干飯をつくることにした。
干飯とは元来は陣中食であるが、平和な時代は、食べるものに無いときの備蓄食である。
つくりかたは単純。日に飯をさらして乾燥させるだけである。
秋晴れが続き、江戸ではしばらく雨がふっていなかった。
これならば大丈夫、と、由布らは、飯を干したまま、いつものように宗茂ひとりを寺に残し、

みなで人足の仕事をしにいった。
 

ところが。
どういうわけが、この日にかぎって、天に雲わき、

午後、にわかに雨がふりだした。
人足仕事は雨のために早く終わった。
由布や十時ら急いで、寺にもどった。
 

道すがら、
「しまったぞ。」
と十時摂津がいった。
 

「飯はダメになってしまうだろうな」
十時は朝鮮・碧蹄館の戦さで武名をあげた男だが、

このときは干し飯のこと頭がいっぱいであった。
 

雨にぬれれば、干し飯は食べられなくなる。それは一大事であった。
そして、この心配は十時ひとりのものではない。

ほかの家来たちもそうだった。
「大丈夫だ。」
と家来のひとりが十時だけでなく、自分をも励ますようにいった。
「殿は聡いかただ。この雨をみて、きっと干し飯を屋敷のなかにしまってくれている。」
 

そのとき、最年長の由布雪下が、
「馬鹿なことをいうな。」
と叱った。
 

「馬鹿なこと?」
十時や家来たちは驚き、由布に問い返した。
 

「そうじゃ」
由布は言う。
 

「大将は雨をみて、兵を考え、民を思うものじゃ。殿は大明まで知られた日の本一の大将ぞ。」
もし、と由布はしわがれ声をくぐもらせていった。
 

「目前の干し飯などという些事に心を奪われるようでは、殿の人品、地に落ちたのじゃ。」
十時らは黙った。
 

「もし、そうであれば、立花の家が再び天下に立つ日などない。」
「そのとおりじゃ」
十時は顔をあらためた。
 

他の家来たちも、みな静かに深くうなずき、みな一様に暗く、神妙な顔になった。
祈るような気持ちで、家来たちは、寺の門をくぐった。
 

雨は激しさをましていた。
萩の花のさく庭をみた。
板の上のならべられた握り飯は雨にうたれている。
みるも無惨に崩れ、あるいは流れ、地面におちて、泥にまじっていた。
 

家来たちは呆然としてそれをみたあと、屋敷のほうへ顔をむけた。
そこでは宗茂は端然として書見をしていた。
「殿!」
十時が吠えた。
 

大きな身体をふるわし、手を雨の中にあげ、万歳、とさけんでいた。
ほかの家来たちも声をあげて叫び、笑った。

濡れた飯をすくいあげて、雨になげるもの、抱き合って泣きあうもの。
宗茂はわずかに顔を庭にむけると、書見をやめた。

立ち上がった。
「爺」
といった。
 

ひとり、天を仰いでいた由布雪下がその声に、その皺と戦さ傷だらけの顔をむけた。
「なんだ、みなは、雨がそれほどうれしいのか?」
 

「そうですな。」
由布の頬に涙が雨とまじっている。
 

「うれしいですわい。」

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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