敗戦☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の合戦当日、宗茂は大津城攻めに参加しており、

その後三成率いる本隊の敗北を知った。
 

帰国途中のこと、折りしも関ヶ原で決死の逃走劇を果たしていた島津義弘の軍と出会う。
 

見れば義弘の手勢は皆手負いの上、数もわずかである。

宗茂の近習が耳打ちをする。
「殿、今こそ父君・紹運様の仇を討つ絶好の機会かと存じまする。」
「馬鹿を申すな!」
「しかし殿…。」
「お前は相手の兵が少ないのを見て討ち取ったなどという事を手柄とするのか?
それに義弘殿は味方ではないか。」
 

そう言うとわずかな供廻りと共に義弘の軍へ進み出る宗茂。
「義弘殿はいずこ?」
近づいてきたのが宗茂の軍と知って警戒する義弘の軍に対し、 
「そう警戒せずともよい。一言申し上げたいだけだ。」 
と答え、義弘が進み出るとこう言った。
 

「父・紹運の事は少しも気にかけておりませぬ。
それよりも見た所、貴殿らの手勢だけでは道中心許ないかと存ずる。
義弘殿に異存が無ければ護衛を致したいがいかがか?」
「宗茂殿…かたじけない…。」
「道中は諸事、心を合わせて参りましょうぞ。」

このようにして島津義弘と友誼を結び、九州まで帰国したという。
 

その後、宗茂が柳川城に篭城した際には、間に合わなかったものの、
柳川城へ兵1万を援軍として送ったと言われている。

また帰国途中に防衛の為、京の要衝である瀬田の唐橋を焼き落とそうとする兵に対し、
「古来より京を守るためにこの橋を落として結果、勝利した事は無い。
 民達の通行を妨げるだけ無益であろう。」

と止めさせており、
この話を聞いた家康を感心させたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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