慶長3年(1598年)第一次蔚山の戦いの時、
日本軍諸将は救援の為釜山から出て蔚山へ進軍した。
1月2日、明将・高策率いる明軍2万2千、
朝鮮軍3万は日本軍本陣を急襲するために釜山へ進軍、
般丹に現れたとの報せがあった。
本陣の宇喜多秀家は、固城の守備についていた立花宗茂に出動を要請した。
折からの寒気の中、
「宇喜多殿は、小勢の立花なら、此度の戦で潰れてもかまわんと言われたそうな。」
と噂が飛び交い、さすがの立花勢も動揺していたが、
その夜、宗茂に率いられた800ほどの兵が固城を密かに出撃し、
明、朝鮮連合軍を夜襲し、首級700を挙げる大勝利を得た。
世に言う「般丹の戦い」である。
時は移って三代将軍家光の御代、ある幕臣が般丹の戦いについて尋ねた。
「5万もの軍勢をわずか800で破るとは、さすが左近将監殿ですな。」
「5000でしたな。5万とは虚報にござる。」
「しかし、明兵は算を乱して逃げ出したとのこと、
しょせん日の本一と言われた立花家の強者に比べれば、弱兵の極み。」
「何を言われる。明兵は体躯強悍、馬は巨馬で我らが及ぶところではありませんぞ。
ただ寝入りばなを襲えば、
万夫不当の勇士とて周章狼狽して役に立たない点を突いたに過ぎません。」
「しかし、兵をまとめ切れない将ですな高策は。」
「心得違いされておりますな。彼地の真冬に5000もの野戦軍を動かせる将は猛将ですぞ。
城攻めの将と違って付城もない野天に軍を進めるなど、並の将にはできますまい。」
「な、なるほど。」
「高策が猛将故に我らは勝てたのです。夜襲をかけ、捉えた捕虜に小勢の我等を見せた後、
敵に向かって放てば、高策は、屈辱をはらさんと反撃するはず、
伏兵を設けた我らの策に、明軍が嵌ったのも、高策が猛将だったからです。」
とかく相手を貶めても自分の手柄を誇る時代にあって、
馬鹿正直に相手を評価する立花宗茂の良い話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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