発進の軍議☆ | げむおた街道をゆく

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文禄元年(1592)、豊臣秀吉による朝鮮出兵。いわゆる文禄の役である。

いち早く釜山、登莱を攻略した日本軍は、これから直ぐに朝鮮の都に向かって進撃するか、
それとも秀吉からの命令を待つかで評議をした。
ところが諸将の議論様々に分かれ、とても纏まりそうにない。
 

この時、福島正則が進み出て発言した。

「今回日本を離れ高麗の地に向かうと決まった時から、この命は太閤殿下に捧げ、

死骸を朝鮮の地に晒そうと思い定めて来た。

このような事今更あなたがたに申すのもおこがましいが、

三千の兵が一致して命をかるんずるときは、
万の兵を破るのも安いと言う。いわんや今我々には十余万の人数がある。
進んで決戦をするのに何の不足があるだろうか!
各々方、どう思われる!?」

すると加藤清正が進み出て言う。

「武具を肩に懸けるほどの人間であれば、戦場に望んで誰が命を惜しむものか。
ましてや今回の戦、上古にも例のない朝鮮征伐のために我々は差し向けられた。
その先陣を仰せ付けられた私に言わせれば、

なおもってこれからの行動こそ慎重にすべきだと考える。
我が身命を捨てるということはさておいても、進むべきでないときに進み、

止まるべきではないときに止まり、
この戦全体を壊してしまっては、上の御為、

またさらには日本国末代までの瑕瑾となってしまう。
評議というものは意見を調整し行動を一致させるためのものであろう。
福島殿の言葉、近頃稀な傍若無人である!」

「傍若無人とはなにか!?」
 

「そうではないと言うのか!?」

正則と清正互いに非難しあい、斬り合いでもしかねぬ勢いとなった。

列座の諸将これに大いに慌て、とにかく穏便にと二人を落ち着かせる。
ここで座長役と言っていい小早川隆景が、立花宗茂の方を向いて言った。

「宗茂殿、あなたは秀吉公から西国一の武勇と呼ばれたほどの方です。
若手であるからと遠慮せず、思ったことを遠慮なく申されると良い。」

宗茂、これを再三辞退したが、正則と清正の喧嘩による空気を変えてほしい、

そんな気持ちもあったのだろう、
隆景の言葉に促され、諸将もしきりと宗茂に発言を求めた。

そこで宗茂も断りきれず、ようやく発言をした。

「私のような若輩者が申し上げるようなこと、少しも役に立つとは思えませんが、
申さねば隆景殿の権威を軽んずるようにも思え、愚見を申し上げます。

我々の捕虜にここから都までどれほどあるか尋問したところ、まだ遥々と遠い。

と申しました。
ところで、多人数というものは直ぐに集められるものではありません。
もしここでの議論が整わず、都への進軍が遅々として遅れれば、

敵は大軍が都に集まり、
我々がこれより進軍する道すがらを、

その大軍をもって難所難所に配置しこれに防がれれば、
我らにとって由々しき困難と成るでしょう。

ここは一刻も早く都へ討ち入り、都において合戦を遂げ、

あるいは敵が都も放棄するようでしたら
そこを占領し、ともかくも都まで進出した上で、

再び如何様にも評議いたせば良いのではないでしょうか?」

これに諸将、
「それは大変正しい意見であると考えます。

しかしながら朝鮮の都に人数が未だ集まっていないと申されたが、
そう考える根拠は何であろうか?」

「そこです。仮に大軍が既に招集してあるのなら、

釜山、登莱をはじめ各城に少人数が籠城しているだけ、
という事になるはずがありません。既に人数が集まっているのであれば、

彼らは大軍をこれらの城に差し向けて防衛をしたでしょう。

そうでない以上、未だ人数は集まっていないと考えてしかるべきだと思います。」

この宗茂の意見に諸将尤もと同意し、日本軍は釜山に留まること無く都に向かって進軍した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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