黒門の戦い☆ | げむおた街道をゆく

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肥後一揆の首謀者の一人、隈部親長、親泰親子を預っている立花宗茂のもとに、

関白秀吉より、隈部一族処刑の上意を伝える使者が訪れた。
「なお、治部少様より、上様のご威光を満天下に知らしめるよう、

黒田様のごとく抜かりなきよう、
心がけられることが肝要との御言伝がございました。」


使者の言葉を聞いた由布雪下の顔色が暗くなった。

豊前の城井鎮房が中津城中で討ち取られ、
族滅させられた顛末については、

元大友家の家人たる城井一族に対する扱いが酷すぎると、

立花家中でも密かに囁かれていたからである。
 

使者を下がらせた宗茂は、由布雪下に声をかけた。
「雪下、後で皆を呼べ。」
 

宗茂の顔を見返した由布雪下は、即座に答えた。
「十二人で宜しいかと。」
 

「相応しきものは、それくらいか。」
しばらくして、十二人の侍が宗茂の前に集まった。
 

「隈部殿を討つことになった。皆には苦労をかけることになるが頼む。」
 

主君に大任を任されたことに感動した十時摂津が、思わず声を上げた。
「放し討ちですな。」
「隈部殿は、節義の士である。摂津、念を押すまでもあるまい。」
 

宿老の小野和泉の一言で、十時摂津が黙りこむと由布雪下が一同に告げた。
「明日、二十七日に殿が隈部殿を城に招かれる。黒門の内にて討て。」
 

宗茂の「目通りしたいことがある。」という呼び出しに応じ、

柳川城下に蟄居していた隈部一族十二人が、
柳川城に入城し黒門を通って三の丸の広場に足を踏み入れると、
十時摂津、十時伝右衛門、十時勘解由、池部龍右衛門、池部彦左衛門、

新田掃部介、内田中兵衛、安藤五郎右衛門、安東善右衛門、石松弥兵衛、

森又右衛門そして原尻宮内の十二人の侍が待っていた。
 

「上様、御上意により、ご一同を討つことにあいなった。御覚悟召されよ。」
「ありがたきこと、いざ参られよ!」
 

十時摂津の口上に答えて、隈部親長が刀を抜いた瞬間、黒門の戦いが始まった。

隈部親長以下十二人が黒門内にて放し討ちにより討ち取られたとの報せが領内に広がると、
同時に、新領主である立花宗茂に対する反感は一挙に下火になり、

やがて賞賛に変わっていった。
 

漢にふさわしい、死に場所と名誉を与え、

天下の大罪人たる隈部一族十二人を懇ろに弔う宗茂の姿を見た地侍や農民は、

肥後一揆の際に和二一族の助命に宗茂が奔走したという噂が、

真実だったことにようやく気がついたのだ。

 

以降、宗茂の熱心な領内巡視と地侍や百姓たちと直に話しあって、

実情に沿った政治を行う姿勢が相まって、

柳川領民の宗茂への信頼は不動のものになった。
 

しかし、奉行衆、ことに親切心からの忠告を無視された石田三成の怒りは大きく、

秀吉に拝謁するため上京してきた宗茂の宿舎を尋ねると詰問した。
 

「天下の大逆人を斬罪や磔に処さなかった訳や如何に?」
 

「我が立花家には、三箇条の掟がござる。それに照らしあわせて処断したまでのこと。」
 

「して、その三箇条とは!」
 

「国法に背き、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶものは斬、

国法に背き、節義に欠けるものは切腹、
国法に背くものは放し討ちと決まっております。

隈部殿は関白様の定めた掟に背き一揆を起こされたが、
その後は、柳川の城下にて蟄居され、武士として関白様の裁きを静かに待つ姿は、

まさに節義の士そのものでござった。故に放し討ちにしたまでのこと。

詳しき顛末は殿下に拝謁した折に申し上げまする。」
 

「・・・・・・明日の拝謁は、空腹(からばら)で来られるが良い。

それならば見苦しゅうなることもござるまい。」
 

そう、捨て台詞を発すると三成は席を立った。
 

翌日、宗茂の口から隈部一族十二人を放し討ちにした顛末を聞いた秀吉は長嘆息した。
「あたら勇士を殺せと命じたのは余の不明であった。

左近将監、そちの振る舞い見事であった。」
 

「殿下の今のお言葉を聞けば、隈部殿も成仏されるでしょう。」


そう答えると宗茂は、秀吉の御前を下がって宿舎に帰っていった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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