宗茂と萩尾大学☆ | げむおた街道をゆく

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高橋紹運は、家中で重罪を犯した者を、家臣の萩尾大学に命じて討たせた。
 

萩尾はその者と街で行き逢った際、すれ違いざまに後ろから一太刀で切り伏せた。
このことを家中では、

「後から切るのはたやすい。」

などと批判したが、紹運の子・宗茂は、
「突然行き逢ったのであれば、その場で討ち取ってこそ手柄だ。仕損じたら何とする。」
と言って萩尾をかばった。
しかし、萩尾を批判的な目で見る者は無くならなかった。

天正9年(1581)11月、立花道雪とともに秋月種実の領地を攻撃した紹運は、

秋月軍の反撃を受け、穂波郡の石坂でこれを迎え撃った。

そこには、初陣の宗茂の姿もあった。
宗茂は150の兵を与えられ、紹運本隊の後方に置かれたが、

秋月軍が近づくと馬を降り、
「オレに従う者は来い。」

と言って、本隊から3町(330m)も離れて布陣した。

あわてたのは傅役の有馬伊賀である。
「この小勢で本隊を離れては危のうございます。本隊の後ろへお戻り下さい。」
これに宗茂は笑って答えた。

「敵が多勢でも何程の事があろう。それに父上と一緒にいては、
わが兵も父上の兵と一緒に動き、わが下知には従わぬではないか。」
 

それを聞き有馬も、
「年端も行かぬ初陣の身が、豪気なことを申される。これは天性の武将の才であろう、
ここは若君の言う通りにしよう。」と考え、宗茂の命に従った。

襲い来る秋月軍を、宗茂隊は果敢に応戦したが、

そのうち疲労した有馬伊賀に、秋月軍の堀江備前という者が斬りかかった。

それを見た宗茂が矢を堀江に放つと、矢は堀江の左手を
射抜き、逆上した堀江は宗茂に向かって来た。
宗茂は堀江と組打ち、さんざんもつれ合ったあげく、

ようやくこれを押さえつける事が出来た。
「くっ・・・萩尾、助太刀せよ!!」

「応!!」
呼ばれた萩尾大学は、群がる秋月軍をものともせず駆け抜け、

宗茂を救い出して堀江の首を挙げた。

混戦はさらに続いたが、伏兵の道雪隊が攻撃を開始すると、勝負は決した。

「いや、しかし萩尾よ、見直したぞ。危険を顧みず、若君を救うとは・・・」
「うむ、今まで卑怯者呼ばわりをして済まなんだのう。」
「い、いや良いのだ・・・(もしや・・・若君は、わしのために・・・・・・?)」
萩尾は宗茂の方を振り返って見たが、若武者は微笑むばかりで何も言わなかった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 忠義と剛勇は鎮西一・立花宗茂、目次

 

 

 

 

 

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