養子・彦次郎義直☆ | げむおた街道をゆく

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佐竹義宣には、男子がいなかった。
困った義宣は、末弟・申若丸を養子とし、跡継ぎに任じる。
申若丸は元服し、彦次郎義直と名乗った。


彦次郎は江戸に屋敷を与えられ、徳川秀忠や家光への拝謁もお膳立てされる。
この時、彦次郎はいまだ十二歳。
周囲によって、次期藩主の立場を着々と固められていった。

が、彦次郎十五歳の時、事件は起こる。
江戸城本丸にて能が催され、参勤中の諸大名が出席する場があった。


江戸にいた義宣も当然、彦次郎を連れて登城した。
よほど退屈だったのか、なんとこの能の席で彦次郎、居眠りをした。
しかもウトウトなんてレベルではなく、かなり見苦しかったらしい。
隣に座っていた伊達政宗が見るに見かね、
「おい、アンタんとこの息子、寝てるぞ。」
と義宣の膝を揺すって知らせたほどだった。

能見物から帰った義宣、ぶちキレた。
「もともと物足りないやつだと思ってたが、もう見限ったわ…。
彦次郎は秋田に戻れ!勘当じゃー!!」
激怒した義宣によって彦次郎は廃嫡、わずか二日後に江戸屋敷を叩き出される。
秋田に到着すると即座に出家させられた。

秋田での僧坊生活は針のむしろだったのだろう。
二年後、彦次郎は高野山に行きたいので、援助して欲しいと佐竹家に申し込む。
だが回答は、高野には行けばいい、

だが援助は一切しない、という冷淡なものだった。
これ以降、佐竹彦次郎義直の記録は絶える。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 今の世に稀な律義者・佐竹義宣、目次

 

 

 

 

 

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