近世大名へ☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の戦いの後、佐竹家は父祖伝来の地”常陸国”(現:茨城県)から、
”羽後国”(現:秋田県)へと転封されることとなる。

戦国の世も終わり、武勇に勝る家臣よりも政治家タイプの家臣が求められる。
時代の変化。

佐竹家中もそういった空気が漂いはじめていた。

義宣自身、一刻も速く近世大名へと脱皮したいという思いと、

いつまでも、父・義重を引き合いに出し、意見する老臣達を煙たく思っていた。

事実として秋田入部後から、

渋江政光、梅津憲忠・政景兄弟等文治能力に長けた家臣団が、

新領地の行政を取り仕切るようになっていた。

これを快く思わない重臣・川井忠遠と他譜代家臣。
両者の対立が決定的となったのは家老・和田昭為の隠居。
その空いた家老職に渋江政光を昇格させるという話が・・・。

これに川井含めた譜代家臣達の不満が爆発。
川井忠遠・小泉籐四郎・野上刑部左衛門・小野玄蕃・大窪長介ら、
5名の重臣が先頭に立ち、これに反対した。
 

彼らは渋江政光襲撃までも計画していたが、梅津達に悟られ、
これを擁護した義宣に粛正された。
これが世に言う、

「川井事件」

である。

この事件後、佐竹義宣政権は、渋江・梅津等の若い家臣団で形成されて行き、
近世大名へと脱皮することに成功するのであった。

同じ頃に食客だった梶原政景が出奔し、結城秀康へ仕官する。

梶原自身も若い頃から知勇でならした人間だっただけに、

近世大名へと変わり行く佐竹家に、

自分の居場所がないことを悟り出奔したものと思える。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 今の世に稀な律義者・佐竹義宣、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!