合戦も仕掛けず、人質も出さず☆ | げむおた街道をゆく

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石田三成らの挙兵により、徳川家康が宇都宮から江戸へと出立する際、

佐竹義宣や秋田城介(秋田実季)らは、

石田三成に一味していると考えられていたため、

『上方と一味に候哉、

そうではなく今回、

我々に同心するというのであれば人質を出し、

我らへの一味の験を顕すように。』

と、花房助兵衛、島田次兵衛の両人を使いとして佐竹へ仰せに成った。

これについて義宣は、父親の義重に、

「これはどうするべきか。」

と相談した。

 

義重はこう言った。
「私は隠居であり、万事はお前の心次第にすべきである。

しかしながら、上方に既に妻子を人質として置いているからといって、

彼等を不憫に思い、心では家康に一味したいと思いながら、

人質故に上方に一味するような事は有ってはならない。

戦国の頃は、人質を棄て義兵を起こす事が武家の習いであった。
もし又、とにかく上方に一味したいと考えているのであれば、

上杉景勝、秋田実季と申し合わせ、
早々に軍を起こし家康を食い止めるべきだ。」

しかし義宣はこの言葉を用いず、合戦も仕掛けず、人質も出さず、徒に時を過ごした。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 今の世に稀な律義者・佐竹義宣、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!