島左近の炯眼☆ | げむおた街道をゆく

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"過ぎたるもの"と言われても、鬼は恩義を抱いて獄門に到る。
石田治部少輔の懐刀として、

関ヶ原を震撼させた島左近清興の先見を見据えた炯眼のお話。

1599年(慶長四年)1月、

太閤秀吉薨去を待って居たかの様に江戸の古狸は眼を醒ます。
 

禁制である他家との縁組を押し進め、

奥州伊達家・尾張福島家・阿波蜂須賀家と立て続けに婚姻を押し進め、

自勢力の麾下に置く。

 

これを詰問するために大坂からは使者が幾度も江戸に向かい、
特に五大老・前田利家は強い反発を示し、

諸大名は、利家、家康双方の屋敷に集結する。
世は、一触即発の危機に瀕していた。

そんな中、徳川家康は柳生宗矩に上方での情報収集を指示。

元が大和柳生荘出身の国人である柳生家、
宗矩は島左近の屋敷を訪ねていった。

二人は座敷にて対面し、世間話などで茶を濁していたが、
柳生宗矩が世上の雲行きが怪しい事に触れると、

島左近は呵呵と笑うばかり。

島左近、

「なぁに、世間は色々ときな臭いかも知れぬが…杞憂じゃ、何も起きはせんよ。
今の諸将には松永久秀や明智光秀の様に、

智謀に優れ果断な人物が居ないからな。」

さらに話題が進み、宗矩は五奉行・官僚派の中心人物・石田三成の事に触れる。
すると、島左近はたった一言こう呟いた。

島左近、

「あぁ、その話か。それも心配しなくていい。

もう、"時"を見逃し、見失っているからな。」

"時"とはずばり、徳川家康を討つ機会である。
左近は三成に対し、太閤死後の家康台頭が間違いない事を提案、

討つのであれば早い方が良いとたびたび言上しており、

実際に昨年末から今日に到るまで複数回、

徳川家康を討つ好機があったと言う。
 

しかし、三成は事後に起こり得る懸念に臆したのか決断しない。
それならば、

加藤清正・福島正則ら疎遠な重要人物とのわだかまりを捨てて好誼を結び、

家康陣営の切り崩し策を防御、

その間に民政に心を砕いて人望を得るべきだと次の策を進言したが、
それも三成は見送った。

島左近、「

既に諸将の人望は家康に傾いており、今さら地固めをしても無駄だ。
治部少輔殿には勝ち目はあるまい…もはや、今となってはな。」

そう言って、左近は宗矩を帰させた。
徹底した現実主義者でなければ生き延びれない戦場の武士であった左近と、
推測・期待値で物事を判断する内務官僚であった石田三成。
確かに、左近は"過ぎたる者"だったのかも知れない。
 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 三成に過ぎたるもの・島左近、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!