関ヶ原の決戦前夜、石田三成のもとに島津豊久がやって来た。
「今宵、内府(=家康)の陣に夜討ちをかけてはいかがだろうか?
ご同意いただけるなら、わが島津が先鋒を承ろう。」
三成が判断に迷っていると、隣にいた島左近が代わって答えた。
「島津殿の申し出は有難いが、夜襲というのは劣勢の軍が大軍にかかり、
短期決戦を挑むもの。大軍から劣勢にかかるとは存じませぬ。
当方は大軍、敵は劣勢なれば、平地での堂々の戦にて、お味方の勝利は疑いなし。
拙者も久々に内府が背を向け、逃げる姿を見ることになりましょうぞ!」
左近の答えに対し、豊久は尋ねた。
「ほう、左近殿はいつどこで内府の背を見られたのかな?」
「拙者、若きころ故あって武田家は山県昌景の下にいたころ、
まさしく内府の背を…。」
そこまで聞いた豊久は、
「当時の内府は、今日の内府ではあるまいよ。
もし、左近殿が言うように明日内府の背を見られるならば、
お味方には幸運これ以上の事はなかろう。
この豊久には全く合点が行かぬ話だがな!」
と言って苦笑し、自陣に帰って行った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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