関ヶ原前夜、
諸大名が勝ち馬に乗るべく様々な保険をかけたのはみなさんご存知の通り。
肥前は鍋島家の保険のかけ方はちょっと変わっていた。
6月のある日、鍋島家の重臣・葉次郎左衛門が直茂に呼ばれた。
次郎左衛門「殿、なにか。」
直茂、
「ここに銀五百貫がある。お前に預けるゆえ、東海道の村々に行って、
ありったけの米を買い付けてこい。」
次郎左衛門、
「はっ。して、その米はいかがいたしましょうぞ。大坂に送りますので?」
直茂、
「いや、そのまま村々の庄屋に預けておけ。おって沙汰する。」
次郎左衛門、
「かしこまって候。」
当時の米一石は銀十匁ほど。
つまり銀五百貫で少なく見積もっても三万石は軽く買えた。
こうして東海道各地に買い付けた米は、
後に東海道を引き返してくる家康に献上され、
東軍諸部隊の兵糧として消費されたという。
鍋島の軍勢は西軍に属して、結構手柄立てたというのに、
戦後鍋島家に一切の咎めが無かったのは、
この米献上が効いたとされる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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