朝鮮役にて、直茂公が高所から下を眺めると、
鍋島の母袋武者どもが、みな母袋を脱いでくつろいでいた。
直茂公は、
「陣中で物具を脱ぐなど戦場の覚悟が弛んでいるな。
誰かあそこに行って、一番最初に母袋を脱いだ者を見つけてこい。
処分をするから。」
とお怒りになられた。
使者が母袋武者どもにそれを伝えると、
「どう申し上げようか・・・。」
と、顔を見合わせ困り果てた。
そのとき、小山平五左衛門茂成が、
「直茂さまへ御返答申し上げる。
二十人の母袋武者ども、目と目を合わせ同時に母袋を脱ぎました。」
と言った。
使者が戻ってこれを直茂公に伝えると、
「憎い奴らよ。それは平五左衛門の言葉だろう(笑)」
と仰せになった。
小山は竜造寺右馬太夫信門殿の子、剛の者である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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