1587年、肥後国人一揆が起こり、秀吉は一揆鎮圧のため諸大名に出陣を命じた。
しかし龍造寺政家だけが、病気を理由に出陣しなかった。
大坂にいた直茂は急ぎ肥後へ行き、軍奉行らと会った。
奉行らは、
「政家殿は叛意があって仮病をつかっているのではないか。」
と疑った。
直茂は政家の潔白を主張し、不出馬を詫びた。
急いで佐賀の政家に会い、理由を問うた。
政家は、
「河上大明神のお告げがあって出陣はとりやめた。
それに与賀大明神の楠の枝が裂け落ちるという凶兆があった。
村では隆信公の霊が村人にのり移って、
出陣すれば討死にすると言ったという。
さらに城中でも夜な夜な奇怪な泣き声がする。」
と答えた。
直茂は
「楠の枝が朽ちて落ちるのは何も不思議ではない。
怪しげなことを口走って迷わした者たちを即刻処罰されよ。
奇怪な泣き声というのも大方狐でしょう。」
と言って政家を出陣させ、謀叛の嫌疑を晴らさせたのであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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