村中城、包囲される☆ | げむおた街道をゆく

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千葉家へ養子として送り込まれた鍋島直茂は、鍋島家に戻った後、
独立勢力として動いていた竜造寺家の当主・隆信に仕える事になった訳だが、

1569(永禄12)年3月、大きな危機が訪れた。

竜造寺家の本拠地である村中城が、

豊後の大友宗麟の大軍に包囲されたのである。
 

多くの家臣は、
「このまま戦っても勝ち目はありません。ここは降伏するか、筑後へ逃げましょう。」
と隆信に提案した。

 

そんな中で直茂だけは、
「城中に裏切り者が出なければ簡単には城が落ちる事はありません。戦うべきです。」
と発言した。

 

隆信も直茂の意見に賛同したものの、不安が拭いきれず、

念の為占ってみる事にした。
すると一計を案じた直茂は、事前に占いを行う泰長院の住職である震龍に、

「『城を去らないのが吉、去るのが凶。』だと言うように。」と要請した。

その結果、震龍がその通りに占って見せた為、

その場は逃げずに篭城する事で決まった。
 

竜造寺軍は4月、中国の毛利家による大友領侵攻への対応に迫られた宗麟と、

和睦を結ぶ事に成功した。
 

村中城は翌年も再び大友軍に包囲されたが、

この時は直茂が自ら夜襲で大友軍に大打撃を与え、やはり和睦に持ち込んだという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 佐賀の雄・鍋島直茂、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!