ある戦陣での戸次道雪と、朽網宗暦・宗策のやりとり。
豊後朽網山野城主・朽網宗暦(鑑康)は、息子の宗策(鎮則)ともども、
キリスト教贔屓で知られた人物である。
1553年には朽網地方に宣教師や修道士が訪れキリスト教の布教が始まり、
やがてキリスト教日本八大布教地にまで発展していく。
翌1554年には豊後で初の教会を建て、
ルイス・フロイス「日本史」にその教会の美しさを、
絶賛する様子が書かれている。
それはさておき、ある戦陣で朽網宗暦・宗策親子が、
総指揮官・戸次道雪の元へ訪問する際のこと。
宗暦、「そなたも知るように道雪殿はキリシタンを好まれぬので、
そのロザリオを御目に触れないように隠しておけ」
宗策、「……。」
最初は父の言に従ってた宗策だが、
道雪の前にくるや父の言を翻しこれみよがしにロザリオを取り出しはじめた。
宗暦はこれを見て慌てて、
宗暦、「この倅は馬鹿者でござる。
ここに罷り出るに先立って、貴殿がロザリオをお好み遊ばさぬ故に、
取り外すように、注意しておきましたるに、
取り外すどころかこのようにわざと出してみせる始末。」
道雪、「ご懸念無用。何となれば優れた兵士は初志を貫徹すべきで、
後退してはなりますまい。」
こう言って宗策の行為をやり過ごし宗暦を安堵させたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!