讃岐の国には、日本武尊を祭る神社があった。
讃岐の大内郡、寒川郡、山内郡、香河郡の四郡はこの神社の神域として、
『この地域で鶴を取るものがあれば、神の祟りあり。』
そう、言い伝えられていた。
そのためであろうか、この地域にはたくさんの鶴が棲む事で、
有名だったそうだ。
ところで、宇喜多秀家がある時、讃岐の領主・生駒親正の屋敷に遊んだ。
この折、秀家が尋ねる。
「貴殿の領内に多くの鶴が棲む所があると聞きましたが、そうなのですか?」
「ええ、仰る様に我が領内の四郡に、鶴が多く群生しておりますが、
そこは神の祟りを憚って、狩を禁止しているのです。」
これを聞いて秀家、
「なるほど、確かに讃岐の中の人間なら、
そう言うものに憚りがあるのでしょうが、
他国の者には、そう言う憚りは関係ないので、
鶴を取っても大丈夫でしょう。
私の鷹をそこに遣わしますから、
鶴を取らせていただけませんか?」
まあ、つまり秀家は、そういう禁忌を迷信であるとして、
地元の人間には、昔からの風習でもあるし、
世間体などもあって、そういった禁忌を守る必要もあるのだろうけど、
他国者にはそう言う地元の風習を守る必要は無いのだから、
狩をしてもいいでしょう?
と言っているわけですね。
豊臣家ご一家でもある秀家の頼みである。
生駒親正も、
「どうぞお心のままに。」
と言うほか無い。
秀家は早速、蒼鷹三羽に鷹匠を添えて讃岐に派遣した。
そうして明日の狩の準備をしていたところ、
どうしたことかその夜、三羽の鷹は皆地面に落ちて動けなくなり、
鷹匠たちも怪しみ、備前へと戻っていった。
この事があってから程なく、宇喜多家では家老達との紛争が起こり、
さらに関ヶ原で敗北し、滅びた。
これに讃岐の人たちは、
「神域で鶴を狩ろうとしたため、神罰を受けたのであろう。」
と、言い合ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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