宇喜多秀家の下で、中村次郎兵衛と言う出頭人が有ったが、
これは秀家の妻の実家である加賀前田利家の下より来たものである。
また浮田太郎左衛門という先代からの用人があったが、
これも秀家の下で出頭した。
この両人は重臣の一人である、長船紀伊守(綱直)と入魂の間柄となり、
様々に密談して伏見に登り、御内々を伺い、
文禄4年(1595)春、家中に対して不意に、
『倹約のためである。』
と号して、宇喜多の分国悉く検地を入れ、
かつ譜代の拝領した地では、良い土地は取り上げ所替りが申し付けられた。
これは皆、中村次郎兵衛の仕業であり、
故に家中の者達は皆次郎兵衛を憎んだ。
さらに中村次郎兵衛達は、自分に親しいものを推挙し、
疎い者達はほんの少しの事で閉門や遠慮が申し付けられ、
あるいは身上を滅ぼす者さえ有った。
家中の者達は薄氷を踏むような心持ちであったが、
これらは皆、国元に居ない秀家からの上意として命ぜられていたために、
如何ともすることが出来なかった。
後の宇喜多騒動に至る混乱の始まりについての逸話である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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