勝つも負けるも戦の習いです☆ | げむおた街道をゆく

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山中鹿介は、一旦は尼子勝久に組しながら、反旗を翻した隠岐の豪族、

隠岐為清の討伐に立原久綱と向かったが、
逆に散々に打ち負かされたが、

松田誠保と横道正光のお陰でどうにか勝利を拾う事が出来た。

 

しかし勝久は、鹿介と久綱に気を使い、

誠保と正光に両名の戦功を認める感状を出さなかった。

 

これを聞いた鹿介は、
「賞罰を明らかにしなければ兵が力を発揮しなくなります。

また、我々は敗れて逃げましたが、全く恥にはなりません。

勝つも負けるも戦の習いです。」
と勝久に説いた。

 

そして、鹿介自らの手で誠保と正光に感状を手渡した。

これを聞いた者は皆、鹿介を賞賛したという。

 

山中鹿介、25歳頃の逸話である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 山陰の麒麟児・山中幸盛、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!