山中鹿介は、一旦は尼子勝久に組しながら、反旗を翻した隠岐の豪族、
隠岐為清の討伐に立原久綱と向かったが、
逆に散々に打ち負かされたが、
松田誠保と横道正光のお陰でどうにか勝利を拾う事が出来た。
しかし勝久は、鹿介と久綱に気を使い、
誠保と正光に両名の戦功を認める感状を出さなかった。
これを聞いた鹿介は、
「賞罰を明らかにしなければ兵が力を発揮しなくなります。
また、我々は敗れて逃げましたが、全く恥にはなりません。
勝つも負けるも戦の習いです。」
と勝久に説いた。
そして、鹿介自らの手で誠保と正光に感状を手渡した。
これを聞いた者は皆、鹿介を賞賛したという。
山中鹿介、25歳頃の逸話である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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