北条氏政の時代。
ある僧侶が小田原に立ち寄り、制札を見てこう嘆いた。
「ああ、北条家も末か、滅亡の兆しが見えておる。」
僧侶の嘆きの報告を聞いた町奉行はこの言葉の意味が分からず、
僧侶を奉行所に呼んだ。
「実は貴僧がしかじかの嘆きをしたとの報告を受けたが事実か。」
「事実です。」
「制札の条文に誤りがあるのでしょうか。」
「いいえ。条文自体誤りはありません。」
町奉行は条文に誤りがないのに、
「北条家滅亡」
を公言した僧侶の言葉には、
よっぽどの理由があるに違いないと思い、
「愚かな私には制札が悪い理由が分かりません。
ぜひ貴僧の道理でその疑問を解消して下さい。」
と頼んだ。
「実は、拙僧は30年前の氏康公の時代に、
小田原に立ち寄ったことがありました。
その時の制札は僅か5条でした。
ところが、今日見た制札は実に30条も有りました。
そもそも、名君の威には民は心服しますから、
法度でわざわざ規制する必要は有りません。
逆に、主君の威が衰えると、
民の心が離れ法律の威を借りる必要が出ます。
だからこそ、制札の条文の多さに北条家の威の衰えを感じ、
御家も末だと嘆いたのです。」
それを聞いた町奉行は感服して、僧侶の言葉を記録したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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