1571年、
北条軍が対陣していた佐竹義重の軍勢による夜襲を受けた際、
戦場となった地の農民の一人が北条方として参戦し、
敵の首を取る武功を立てた。
そこで氏政は、この農民を
「関八州無双の剛民である。」
と称賛し、『岩井兵庫助』の名前と領地を与えて武士に取り立てた。
またこの戦いでは、
「北条軍の武士に助太刀して敵を倒したが、その武士に首を奪われた。」
と訴える農民もおり、
氏政はその農民にも褒美を与えるとともに、
「農民ですらこの様な心構えをしているのだ。
諸士も自らを省みて恥じ入るであろう。」
と語って家臣を戒めたという。
農民から首を奪った武士は恥をかく事となったが、
戦勝で機嫌の良かった氏政は、
「若輩の身に加え、初陣でもあるから褒めて遣わす。
真っ先に切り込んだのは手柄である。」
と声をかける心構えを見せたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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