北条氏政は武田信玄の娘の黄梅院を妻としていた。
この夫婦には後の当主氏直がうまれている。
さて、信玄が駿河を攻めたという知らせと共に、
甲相駿三国同盟は破棄となり、氏政夫婦は離縁と決定した。
武家のならいであるとは言え、当の氏政は最後の最後まで渋ったそうだ。
黄梅院の甲斐送還の時、氏政は16貫文という大金を与えた。
堪忍料としてだが、
甲斐での生活がうまくいくようにとの配慮もあっただろう。
だが、黄梅院は甲斐に帰ってからすぐに、27才で亡くなってしまった。
数年後、父親の氏康が亡くなりもう一度、甲斐と同盟する事になった。
このとき、氏政が信玄に頼んだのは、
黄梅院の遺骨を分けて欲しいと言う事だったのだ。
この願いは叶えられ、黄梅院の遺骨は早雲寺の黄梅院と言うところに、
北条家正妻として葬られたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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