永禄6年(1563)1月、
江戸城の守将・太田美濃守康資の上杉方への寝返りにより、
安房の里見義弘が侵攻。
ここに第二次国府台合戦が起こる。
7日、
大田の寝返りを察知出来なかった江戸城守備の同僚・遠山綱景、富永直勝らは、
この恥辱を雪ごうと、無理な戦いを行い逆に百騎ばかりを討たれ大敗、
里見軍はこの勝ちに乗じ、さらに攻勢を仕掛けた!
と、ここに立ちふさがったのが、
この軍の大将である北条氏康嫡男・北条氏政である。
彼は遠山たちの軍の敗北を聞くと旗本に、
「敵は勝ちに乗じてここまで攻めてくるに違いない!これを断固討つべし!」
そう下知し、少数であるにもかかわらず敵の来襲を待ち構えた。
案の定攻め寄せてきた里見軍を、氏政の旗本衆は勇猛に切り崩す!
その攻勢を止めただけでなく更に押し返し、
首四五十を取る大勝を収めた。
この、勝ちに乗じた敵の大軍を、
氏政の旗本だけで防ぎきった戦いぶりに、諸卒は、
「氏政様は前代未聞の猛大将である。」
と大いに感じいった。
さて、氏政は里見を追い返すと直ぐに、父氏康の居る本陣へと向かった。
本陣では、未だ氏政の勝利を知らず、
諸将を集め遠山たちの敗北にどう対処するかの軍議が行われていた。
そこに入ってきた氏政は先の戦いを報告し、
「私は遠山たちが敗北した時、郎党2名を敵に紛らせ、
向こうの陣中を見てくるようにと命じました。
彼らが帰って報告した所によると、
里見軍は遠山たちを討ち取ったことに油断し、
その諸軍勢を国府台に悉く上げ、
しかもそこで酒宴を行い千秋萬歳をうたっているそうで、
その内の一隊たりとて、敵に備えようとする姿勢すら見えないそうです。
敵が来ると言うことを頭から考えず、主人は家来が何処に居るのか、
家来は主人が何処にいるのかも、わからない有様だとか。
全く、軍規は完全に乱れ、軍隊としての体をなしていません。
これでは義弘の運の末に、災を招かないわけがありません。
今御味方が彼らを急襲すれば、
彼らの軍のうち正面の兵は国府台を降りて戦うでしょうが、
中軍で反応できるのは半分程度、
後陣にいたってはこの戦いを見物することしかできないでしょう。
しからば、正面の敵は蟷螂の斧に過ぎず、
これさえ切り崩せばそれだけで里見軍は崩壊します。
国府台を攻めましょう!私が先陣をつかまつります!」
これを聞いて氏康は考えた。
早朝の遠山たちの敗戦は、日の出で朝の光が挿し込むところを、
里見軍は太陽を背にする形で攻め寄せてきた。
それに視線が遮られ、それもあって彼らは敗北したのだが、
今は未の刻(午後1時頃)も過ぎ、これからは東にある敵こそ、
太陽光線を正面に受ける。
「よろしい!国府台を攻めよ!」
この戦いに北条軍は大勝。
里見は多くの重臣や名のあるものを討ち取られた。
北条氏政の奮戦と知略が光る、第二次国府台合戦のお話である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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