軍法、兵略というものは、
後代においていよいよ厳重となっていった。
北条家の侍に、大石平次兵衛という者が居たが、彼はこのような歌を詠んだ。
『樊カイを あざむく武者を集めても 下知につかずば餓鬼に劣れり』
これを北条氏政聞き及び、
「彼は一方の大将とすべき者である。」
と絶賛し、実際に足軽百人を預けた。
この事があって、北条の諸侍はいよいよ法度を守るようになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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