天文二十二年九月下旬に、小田原への間諜が越後に帰り、
上杉謙信に言上して曰く、
「北条家の群臣には武功有る者多い中でも、
松田尾張守(盛秀)は智計深遠にして、
軍用の具を常に蓄え、欠乏させる事がありません。
その上常に士卒を調練し、湧進の志を励ましています。
故に北条氏康も、
軍事に於いてはこの尾張守と諸事評議されているそうです。
最近も、松田は諸方の寺より撞鐘を取り寄せて、
毎日これを鋳鎔して鉄砲の弾としました。
ところが、鎌倉のある小寺より鐘を取ろうとしたところ、
その住僧は甚だこれを嘆き惜しみましたが力及ばず、
かの僧は別れを惜しみ、鐘を抱いて涙を流し、
「私は年来、二六時中これに手を触れないという事はなかった。
今から以降は再び手で触る事が出来ない、
私はこの鐘に於いては残念が盡きない!」
と言って、声を上げて泣く泣く立ち分かれました。
そして奇妙なことが有りました。この鐘が小田原に至って、
これを鋳鎔しようとした所、
鐘より水煙が吹き出して炭火が皆消えたのです。
それから数度にわたってこれを鋳鎔そうとしましたが、
毎回水煙を吹き出して遂に鎔かす事ができませんでした。
人々は皆、これを見て、かの住僧の怨念である、
と言いました。
しかしこれについて、老鋳師が言いました
「古にもこのような例が有った。
牛馬の糞を炭火の中に入れた時は止む。」
これによって牛馬の糞を入れた所、炭火は盛んに燃え、
鐘はたちまち熔けました。
又、盲目で情が強く、意地を立てる異相の者がありました。
氏康はこれを聞いて喜んで呼び出し、
彼を咄の者としました。
ところがかの盲目の者は、話と違い和順であり、
意地が強いという異体はありませんでした。
これに氏康は、
「汝が意地強く異相であると聞いて召し出したのだが、
然るに今その方が人に対して和順であるのはどうしてなのか。」
と尋ねると、盲目は答えて曰く、
「君は意地強き異相を好んでいます。
しかし、そこで能く和順である事は、
この異相の意地にあらずや。」
氏康は甚だこれを喜んだと聞いています。」
謙信はこの一々を聞かれて曰く、
「氏康は奇兵を好んでいる。私はこれを撃つに必ず正兵を以て戦わん。」
と言われた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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