永禄7年正月8日、
下総国国府台において、北条氏康と里見義弘の合戦の砌、
敵味方入り乱れ、氏康の下知も聞こえぬほどとなった。
ここで氏康は「加美」と名付けた黒き馬に乗り、
白柄の長刀を持ち駆け出した。
そして剛敵を三十騎斬り落として猛威を振るい、
合戦に勝利を得た。
この時、彼は身に鑓刀の傷七ヶ所、
頬先に太刀傷をうけた。
この事があってより、侍の顔の傷を、
人は称して「氏康傷」と言うようになった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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