永禄4年、最初の越山で北条氏の本拠、
小田原に迫り来る上杉景虎の軍勢に対し、
小田原城では重臣たちが集まりその対応を協議していたが、
様々な主張が出て議論となり、
いかなる方針を取るか結論が出なかった。
ここで、北条氏康が重臣たちを諌めて言った。
「今度の景虎発向の事について各々の主張はどれも尤もである。
であるが、あの景虎という者、天性健やかなる若者で、
血気盛んであり、腹が立って怒る時は炎の中にも飛び入ろうとし、
鬼であっても掴み拉ぐというほど短気な勇者である。
であるが、そんな彼も少し時が過ぎると、
その勇も醒めて万事思慮するようになる傾向がある。
『仁者は必ず勇あり、勇者必ず不仁』
と言うではないか。
現在彼は上杉憲政から関東管領の名を譲られ、
諸侍を配下に付けているのだから、彼の考えを想像すれば、
一層その強みを出そうとしているだろう。
その上彼の軍勢は多勢である。
だからその進軍する先々に、我らは軍勢を出さずに籠城して、
彼の血気を悩まし、その塩を抜くのだ。
来鋭を避け惰気を撃つとはこれなり。
勇気も疲れ、数日対陣し兵糧が減って、飢えたところを討つのだ。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!